
実はとってもアメコミファンである。
でも、最近の映画の原作が全てアメコミというのはどうもいただけないと思っている。
でもハリウッドはアメコミが流行、日本も漫画を原作とした映画が多いが、これって映画を作る側のクリエイティブ能力が落ちてきたことを示してると思う。
活動屋が写真を撮っているのではなく、テレビ屋が映画を作っているのだと言ったら言い過ぎだろうか。
でも何もかも安易に使ってしまうその手法を見るとどうしても映画とは思えない。
作り手ではなく、観客感覚の人間が映画を作っていると感じる。
ジョージ・ルーカスが新スターウォーズ3部作を取るために10年を犠牲にしたと言った。
それは決して悪い意味ではなく、映画というものを作ろうとするとそれぐらいの犠牲が必要だといいたかったのだろうと思う。
今はそんなことはない、確かにハリウッドで映画を作ると時間がかかる。それでもルーカスの半分も時間はかからないだろう。
といって、映画がつまらなくなったわけではない。
面白い作品も多いし、アメコミファンとしては素直に喜ぶ部分も多い。
ついこの間SinCity が映画化された。
監督はロバート・ロドリゲスとフランク・ミューラー。映画の中のワンシーンをタランティーノが監督している。
原作は、映画の基本となった「ハード・グッドバイ」 だけが翻訳されて発売されている。
実は私が原語で全巻持っているという大ばか者の一人である。(ちゃんと読めもしないのに)
昔、ハードボイルドのことを日本語にすると「やせ我慢」といった人がいた。
うん、その通りだね。アメコミのヒーローはみんな「やせ我慢」だけど、SinCityは特に男も女も「やせ我慢」炸裂である。
が、実はハリウッドの監督協会では複数の映画監督を認めていない。
ウォシャスキー兄弟はウォシャスキー兄弟という監督なのだ。
だから、複数人の監督をクレジットしようとすると監督協会を脱会しなけれならない。
監督協会はもともと監督の人権を守るために発足されその機能を果たしてきた。
が、複数人の監督による共同監督を認めないという人権を無視したところでもある。
なんと馬鹿げたことか。
ロバート・ロドリゲスはSinCityの世界感を描くためには原作者であるフランク・ミューラーが監督することが不可欠と考えた。
今までかたくなに映画化を拒んでいたフランク・ミューラー(この人ロボコップの脚本をやって映画が嫌いになったとか)にとっても唯一許せる選択だったと思う。
仕上がりは、見事にSinCityを書ききっていた。
あの、暴力的で優しく、強くて弱い、正常で理不尽な世界をデフォルメしたような街がそこに出来あがっていた。
もうすでにロードショウも終わっている作品を何を今更と思うかもしれない。
が、先週輸入版のDVD(日本ではまだDVD化されていない)を買ってしまったので・・・。
でも日本版が出たらまた買っちゃうんだろうなぁ・・・。
0 コメント:
コメントを投稿