タイ人にとって10月14日は1973年にタノム独裁政権を倒した民主革命「10月14日政変」として大事な日である。
実はタイは非常にクーデターの多い国である。
なんのこっちゃという方の為に、説明すると以下の通り。(間違いがあるかもしれないが一応歴史書等からまとめたものを掲示)
13世紀はスコータイ王朝、14世紀からはアユタヤ王朝。アユタヤ王朝は1767年にビルマ(現ミャンマー)侵攻を機に滅亡。その後直ぐにトンブリー王朝が出来る。
1782年に現在のバンコクを中心としたチャックリー王朝が誕生する。これが今の王様の流れである。
その後、1932年に立憲革命により絶対王政が廃止され立憲君主制に移行。つまり政治と王室を切り離したわけだ。
1957年に荒れていたタイ国内の情勢をまとめるべく、9月にサリット元帥が無血クーデターで独裁政権樹立する。ここからタイの軍事独裁政権が始まる。
1963年12月タノム政権成立。1969年に議会政治に移行。
ベトナム戦争などもあり軍事がらみの外貨が入ることでタノム政権は大きく成長。
ところが1971年、タノム首相は自らの政権にクーデターをおこない、国政評議会が全権を掌握、軍政が復活する。要は、自分に不要なものの口を封じたというわけだ。
ところが庶民は黙っていなかった。
1973年10月14日、民主化を求める学生、市民と軍が衝突、タノム政権が崩壊(血の日曜日)。国王の命令でサンヤ暫定政権成立。
1年後の1974年10月、民主憲法を公布、文民政治が続いていた。
これで民主革命は一応終わりを告げた要に見えたが、これでは終わらない。
1976年 10月6日、国外退去されていたタノム元首相の強行帰国に対する抗議集会に警察隊突入(血の水曜日)。22日、軍部クーデターによりタニン政権発足、再び軍人中心政権が始まる。
その四年後1980年にプレム首相就任、軍の介入を抑えつつ民主化を推進。
なんとか民主化の形を形成する。
1988年 チャチャイ内閣が12年ぶりの文民内閣として成立する。
が、1991年 スチンダー陸軍司令官等によるクーデターによりチャチャイ内閣崩壊。その後約1年間はアナン暫定政権。
1992年 3月、総選挙の結果、スチンダーが首相就任。5月、民主化勢力は文民首相選出を主張。
軍部と鋭く対立して流血の事態となる。同内閣は総辞職(5月流血事件)。
9月、総選挙、民主党のチュウアン党首を首班とする文民内閣成立。
一応これで終わったかと思ったら、1995年にバンハーン内閣、1996年チャワリワット内閣を経て、1997年に再びチュウアン内閣が成立する。
そして、2000年 チュウアン首相が任期満了直前に下院を解散。
2001年 1月、下院選挙を実施。タクシン首相を首班にタイ愛国党、タイ国民党、新希望党からなる3党連立政権が成立。現在に至る。
つまり、つい15年ほど前までクーデターをやっていたのである。
まず、王朝政権から軍事独裁政権。その語初めて民主政権が行われたということで、32年前のタノム政権を倒したことは非常に意味があるのだろう。
しかし、現在でも民主主義?とは程遠いことも多いのでは。政治家が経済を独占しているように感じるのは私だけか?結局、特権階級の上に作られた民主主義のように思う。貧乏人はいつまでたっても貧乏になのだ。
まぁこれは日本でも同じかもしれない。
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